備忘録
ドラマの始まる「今日」は、主人公の人生の他の日とは違ったものでなければならない。それが何であれ、今日はキッカケとなる事件、主人公に、解決すべき問題、克服すべき課題、乗り出すべき冒険を与えるような異常な出来事が起きる日なのである。出典:https://t.co/DkEn3hUj6V
— ストーリーの書き方 (@kakuniha) 2017年1月16日
日常の会話というのは、極端に言ってしまうと、聞き手は話し手の意図を取り遠えて納得しているということを押さえておく必要がある。聞き手は、話し手の話を聞きながら、たえず並行して別の関心事に気持ちが行っているのだ。(保坂和志)出典:https://t.co/3ykqbHerNO
— ストーリーの書き方 (@kakuniha) 2017年1月16日
自分は努力や勉強によって脚本を書く能力を身につけたと思っているのに、なぜか他の優れた脚本家の人たちは天から才能を与えられているような気がしてしまう。他人の努力は目に見えにくいからだろう。他人も自分以上に努力したと考える方が「何か真似出来ることはないか」と前向きな視点が得られる。
— 尾崎将也 (@ozakimasaya) 2016年12月24日
→そして詩人らしく、素敵な文章がそこかしこにあります。"私は自分が重い家になり、身動きがとれないまま、冷たい風を吹き込ませている心地がした。「風は気ままに撫でていくだけで、この身を温めることはない」と一人諦めていた。本当は自分の足で歩き、温かな光を浴びに行くことができるのに。"
— フランソワーズ (@chatiguri) 2016年11月25日
出典は分からないのですが、ネットにあった思わず膝ポンの言葉。
— 小池一夫 (@koikekazuo) 2016年11月14日
「『これがなくなると精神が落ち着かなさそう』というものはかたっぱしからなくすと精神が安定する。」仏教の教えに通ずる。実践しみます。(小池一夫)
「お前は見られている」が宗教。「見られていなくても」が道徳。「どう見ているか」が哲学。「見えているものは何か」が科学。「見えるようにする」のが数学。「見ることが出来たら」が文学。「見えている事にする」のが統計学。「見られると興奮する」のが変態。
— ゴン太 (@gontachan57) 2016年11月12日
「誰にも読まれない新人賞の応募の小説を書くにはモチベーションが続かない」と感じたら、ちょっと思い返してみるといい。
— 鈴木輝一郎@「桶狭間の四人」絶賛発売中! (@kiichiros) 2016年11月8日
あなたがその作品を書くとき
1)生活がかかっているか
2)人生がかかっているか
プロの場合、このどちらか、または両方がかかってます。(鈴木輝一郎小説講座)
中年になって気づいたのは、いい歳になったら人前では明朗快活にふるまってみせることが(ほぼ義務に近い)たしなみだということ。中年以上が暗い顔で不機嫌をふりまくと、その場そのものが台無しになる。若者の暗さは人の気を引く要素かもしれないが、歳を食うと暗さはただ人を遠ざける要素になる。
— dw (@dw__) 2016年10月31日
なぜ書くのだろうか。もっとうまくは書けないのに。だが、もし、こうしてわずかながら書き上げるものを書かないとしたら、私はどうなってしまうだろうか。たとえ、内容が本来の自分以下でもしかたないではないか。私は、理想世界の下層民なのだ。というのも、私は理想を実現しようとしているのだから。
— フェルナンド・ペソア (@FPessoa_b) 2016年10月30日