EVERYTHING IS

想起特訓。忘れかけたことを思い出すのだ。

読書/アニメ/映画/マンガ

 ここはインプットしたものをアウトプットする場所にしたい!
 あまりにインプットが少なすぎるのでは問題!
 最近見たアニメ

  1. ゆるキャン△ 
  2. 宇宙よりも遠い場所
  3. とらドラ 8話まで
  4. バディコンプレックス
  5. 一週間フレンズ

 アニメは見とる。青春ものを見たいと思っている。なぜだろうか。
 一週間フレンズは設定の勝利! 喪失感はせつなさを持ってくる。
 楽しい思い出も一週間経ったら消えちゃう!
 頑張って作った関係性もリセット!
 これはループものと同じ系列だな。一週間をループしているようでしていない。
 好きな人が自分のことを好きじゃないっていうのは常に作品のテーマになるな。
 主人公が成就したとしても、脇役は常にこの視点を持ってる。
 持たざるものと、持っているもの。
 せつなさは、失われること叶わないことによって生まれる。

 
 自分の中の言葉を増やすためにも同じ本を繰り返し読みたいなぁ。

 

 381 20分

Teleport 桜前線

 孤独を愛するフリーターは、サブカル女子が夢みるファンタジー世界で生きることを夢みてる。70年代にトリップして昭和高度経済成長セックスに勤しむ間、栗本薫が生み出したグインサーガと耽美に浸る。ヴィジュアル系バンドを派遣社員の代わりに派遣して、奇抜な衣装とルックスで平凡な日常に死をもたらす。カネをたくさん持っていると、愛の告白代わりに叫ぶと、「わたしは不治の病でもうすぐ死んじゃうかもしれないけれど愛してくれる?」と告白される。
 ロックは自由だ! ならどんなことも許される。日常的な行動はロックじゃない。非日常がロックだ。尾崎豊の歌詞にインスパイアされている時点でロックじゃないと反発し、盗んだバイクで走り出した奴を遠距離からモデルガンで撃ち落とす。金属バットで割られた校舎の窓ガラスは綺麗に直して見せる。
 ヤンキーの典型的ヤンキースタイルはこれまでのスタイルを踏襲している時点でロックじゃない。体毛をすべて沿って丸刈りにし、常に胸元にぶら下げた陶器の瓶から角砂糖を食べていくスタイル。そういうスタイルで校外をぶらついてイキっていたら、お寺からスカウトされ住職になる。寺で悟りを開いた気分になって、遂に上京。常磐線に乗って、終わらない日常の中へ飛び込んだ。
 中東の戦争システムに意義を申し立てて、オイルマネーを俺にもよこせと叫び、戦争はよくないとシュプレヒコール。アジテートすることを生きがいにし、地方都市から革命を叫び、TWITTERで闘士を募る。
 ジャン=フランソワ・リオタールが『ポストモダンとは大きな物語の終焉』と言った時から30数年いまだ僕らは共通目的を見つけることもなく、従順に同じであろうとし、個別に真逆で個性的であろうとする。
 終わる平成を渋谷のスクランブル交差点から、京都の清水寺の舞台から、サッポロ雪祭り雪像の中から眺めている。元号が代わり津波の記憶が風化しそうになる。すぐに大事なことをなんでもかんでも忘れようとする僕らは、いまだ何を忘れちゃいけなくて、何を繰り返してはいけないのかわかっていない。
そして、僕はドルアーガの塔の頂上にいまだ辿りつけてない。

 

 888 30分

空ラインまで

 たまたまそうなったから、ここにいる。そういう時間経過のロジックに惑いながら、決断できないでいる。今、決める。後から決める。どっちが正しいかは後からしかわからない。決めることに意味があるのか無いのかもわからないけど、決めちゃった。
 嘘をついている。たいていいつも、そうやって生きている。
 生きる意味は誰かのためだ、って言う人もいる。意味なんて無いかもしれないけれど、何かとても美しい瞬間さえあれば生きていれてよかったと思える。

 ほんとは俺はこうなのに。

 そういう思い込みみたいな理想が、自分を封じ込める。
 いらだちが理想と現実の距離感を余計に広げてる。
 理想なんて架空な自分勝手の中で停滞し浮上できない。
 現実は甘くない、なんて言葉コーヒーで飲下してる。
 甘い、甘すぎるよ、なにもかも、どこまでも、歩いて走ってる。
 いつまでも待っていてくれると思っている。
 自分のことは自分にしかわからないから勝手にやってくれ。
 きみのことは全部きみのものだし、
 きみへのアドバイスなんて全部他人事だ。
 色褪せて繰り返している日常が、なにも変わらないことに
 ほっとしているような僕らは、停滞を望んでいる。
 からっぽになっている器の中を満たすための努力をしているみたいだ。
 器は硝子でできていて、向こうの世界が透けて見える。
 必要としたいことは違うし、なりたいとしたいは違う。

 目的と手段が入れ替わった時いつも最高になれる。目指していた場所よりも今やっていることが最高に楽しくなる、その瞬間のために今を生きてる。
 この瞬間にすべてをつぎ込むにはどうすればいいんだろう。
 次の瞬間塵と消えてもいいように。
 全部をつぎ込むんだよ!
 熱量と爽やかさは同時に保てないんだろうか。
 涼やかな風が吹き緑の草原の下生えが揺れ青空が広がる。
 トラックの荷台から遠くを見つめていると沈む太陽が見える。
 季節が巡り、時が過ぎていく。
 一年が過ぎ、旅を続ける。
 世界を一周し同じ場所に戻ってくる。
 なにもなかった草原には新たに街が出来ている。
 また、川の向こうへ行く。
 昔つけた足跡とか思い出しながら。 

 881 30分

セルマを聴きながら

5000文字書くのに、10万字読む必要があるというのがどこかに書かれていた。

そうなると俺は圧倒的に読んでいる時間が足りない。

三月のテーマは思考と考えるとはどういうことか?

一ヶ月ごとにテーマを設定し、そのことについて考え続けることにしたい。
俺は同じことを考え続けるとすぐに飽きて別のことをはじめてしまう。根気というのは、習慣の問題であると思うので習慣にしていきたい。

一日に一時間本を読むとする。一ページに700文字書かれているとして、100ページで七万字一時間で100ページを目標に本を読んでいきたい。特に難しい本に挑戦し、ここに情報を残していきたい。本を読んで読みっぱなしがとても多いから、昔読んだ本を読み直してもいいかもしれない。

 毎回ブログの執筆時間も記録したい。文字数も同じく。毎回これって忘れてしまうけれど、大事だと思う。
 しかし、文量を気にして内容が薄くなると意味が無いと思う。

 書いているうちに全く関係ないことが浮かぶ。そもそも書いている時に何を書くかという明確な案も無い。

 ゲスの極み乙女のセルマを聴きながら書いている。この曲が好きで何度も何度も聞いている。このバンドはいろいろ騒がれたが、メロディラインが最高だ。

 

 

 

今日も 1人食卓で
滲む幸せ掴んで
並ぶ 2つのスプーンに
涙を落とす
使い込んだテーブルは
傾いたまま変わっていないよ
聞こえる?
よく買い込んでいた紅茶
今じゃ 2週間に 1回に減ったんだよ
やけに静かになったくらいさ
それ以外は変わらないはずだけど

一緒に飲んだ缶ビールの味が思い出せないんだ
酔わない方だったのにな
おかしいな
おかしいよな

一つ飛ばして
二つ飛ばして
三つ飛ばして
君はいなくなった
あと少し
もうあと少し
側で笑ってたかった
駅のホームの端が好きで
それ以外の場所は普通で
僕はそういう君が好きで
それ以外も好きだったけど

一緒に飲んだ缶ビールの味が思い出せないんだ
酔わない方だったのにな
おかしいな
おかしいよな
一緒に飲んだ缶ビールの味が思い出せないんだ
一緒に歌ったあの歌は全部口ずさめるのに

一緒に飲んだ缶ビールの味が思い出せないんだ
酔わない方だったのにな
おかしいな
おかしいよな
一緒に飲んだ缶ビールの味が思い出せないんだ
一緒に歌ったあの歌は全部口ずさめるのに

 

一緒に飲んだ缶ビールの味が思い出せないんだ
酔わない方だったのにな
おかしいな
おかしいよな

 

この部分のせつなさが素晴らしい。喪失感があるのか、寂しさがあるのか、缶ビールを飲んでるシーンが思い浮かぶ。夜の街を意味もなく駆け回るような。

音楽について語るってすごく難しい。

 

音楽のよさは直感が判断する。言語化しようとしてこなかった。音楽に関しては自分がいいと思ったもの悪いと思ったものを自信を持って断言できる。文章や物語に関してはまだ断言ができない。なぜだろう?

音楽の場合自分の好きなバンドがAmazonの感想欄で最悪、全然よくないと書かれていてもなにも気にならない。★の数も気にならない。
小説や漫画の場合気になる。音楽を聞くのと、小説を読む労力の違いが関係してるのかもしれない。★一つがたくさんついている本をわざわざ読みたくない。音楽なら★一つがたくさん着いているなら逆に聞いてみたいって思う。

音楽は直感で選べて自分の審美眼が作られている。
文章はまだ直感で選べない。良い悪いを他者の判断にゆだねている。自分で何がよいか悪いかを選んでいかなければならない。

 

1406  20分

連続性と持続性

 文章に連続性を感じるのは、前とつながりがある場合だ。長編小説の連続性というのはどうやって作っていけばいいのだろう。同じ登場人物が何か事件に巻き込まれるやらを何個かやれば短編を集めて長編になる。
 短編とか長編の違いはネタの大きさの違いだ。スケール感とか、謎が謎を呼ぶという大きな事件などは長編にしやすく。ワンアイデア、登場人物も少ない場合短編などになる?

 

問いと答え

 何かしらの疑問が問いになりそれに答えようとすることで思考が生まれる。

 たとえば、

 価値のある文章とは何か?

 という問いがあったとする。
 そこから思い浮かぶことを列挙していく。

  1. 自分にとって新しい情報のある文章
  2. いままで知っていたものを別の見方を見せてくれる文章
  3. ともかくおもしろい

 出てこなくなるまでこれを繰り返し、脳を捻り続けても出なくなるまで考えたら、一個一個をまた深掘りしていく。WHYだ。

 自分にとって新しい情報のある文章になぜ価値を感じるのか。
 知識が増えるから。自分が新しい何かを得ているという感触に喜びを覚える。知識欲の満足。自分がそれを理解できたという自尊心を満たす満足感。

 知識が増えると嬉しいのはなぜか?→知識をひけらかすことで周りにすごいと思われたい。自分が成長できたと感じ、今の自分から変わっていけてる気がするから。変化が嬉しいというのは今の自分を否定することでもあるのでは?

 縦方向に深掘りしながら考えていくと、横方向に広がりちらばっていく。ここで頭の中で図解すると、別の方向に思考が向かっているということがわかりやすい。

 上下左右言葉のツリーを意識したい。

 これ以上無い場所まで深掘りしていくと自分でも見たくない自分が見えてくるはずだ。横方向の散らばりは、今考えてたことから生まれた新しいアイデアになるはずだ。 

 

 

はじめてとおわりのはじまり

 誰にでもはじめてのことはある。なにもわからない新鮮さが何度も繰り返すことで慣れに変じ、それをはじめてやった時の感触、はじめての感動を忘れていく。
 そうして人間はその行動を自動化しロボット化していく。コリンウィルソンはアウトサイダーの中でロボット化が鬱のはじまりのようなことを言っていた。
 あらゆるものをはじめてのように感じながら行うと、その作業はとても時間がかかる。詳細な観察と発見が起こり手が止まってしまうからだ。ロボット化することでなにも考えず動作を行うことができる。

 

 ……眠い。眠いので思考は停止し、部屋についたライトのキーンという音が耳に響く。そういえば電磁波が身体に悪いという眉唾物の話を聞いたのだが、本当のところはどうなんだろうか?