EVERYTHING IS

想起特訓。忘れかけたことを思い出すのだ。

花粉症撲滅してよ、神

 花粉症のしんどさが、思考の伝達を遅くする。
 何も考えられず、だるさだけが残る。こういうときは雨音だけが友人だ。
 ざぁぁぁっと雨粒が落ち続ける音を聞いているときに永遠を感じる。
 スケッチブックを持って自在に絵を書けたら。なぜかそんなことを不意に思った。誰かの絵を真似するということも考えず、ただ見えるままを書こうとしたらもっと自由に書けただろうか。
 いつ頃からか他者に自分が規定されていく。他者との比較で自分を構築しようとしている。言葉もいつ頃からか誰かの目を気にして書かれている。いままで見た物や読んだ物の影響を受けないことはできない。それが嫌なわけじゃない。影響を受けるってことは逆にいえばいくらでも変われるってことだから。
 だけどたまに、なにも知らない無だった時の自分を思い出したくなる。なにも知らなかった僕は自由に書くことはできただろうか……。
 
 超越者としての神。神はすべての最善を知っていて迷うことは無いという。常に正しい善の選択をする。そんなものはあり得ないとわかっているが、言葉やイメージではその存在を生み出すことができる。
 プラトンイデア論を思い出す。現実とは別にイデア界という場所が存在していて、そこに全ての理想の本当の姿が存在している。現実はイデア劣化コピーだ。理想はいつも頭の中にある。現実は頭の外にある。頭の外は不条理に覆われている。頭の中も全然操れていないのに……。
 
 だめだぁ。理想の文章とはいったい……。

 何も書けない気がするいらだちまみれ

 能力を高めるために必要なのは質と量だ。文章量を確保することは急務だ。一万時間の法則というのがあるから、一万時間書き続ければいいわけだ。毎日八時間を三年続けると一万時間に到達するらしい。はぁ、多すぎねぇか。

 これまで10年間何時間文章と向き合って来たんだよ! いったい!
 向き合うってどういうことだよまず、的確な練習方法があるのかよ、筋トレみたいに負荷を書ければいいのか。筋肉痛の代わりに、文章痛なんつうものが起こればわかりやすいのにな。文章を書くたびに痛みがはしる。いや、そういう感覚なんとなくわかるかもしれない。学べば学ぶほど自分の文章の荒がみえて嫌になる。胸が痛む。書くのがヤになる。
 永遠にたどり着けない理想の文章がそこにあるがと・ど・か・な・い!
 しかしだ。そもそも文章力つーか、俺が思っている理想の文章なんてただ体裁を整えた格好つけでしかない。

 ――文学的で学術的知識のバックボーンに支えられた端正な文章。
 みたいな。

 書きにくいことを書いてみて特訓するしかないんだろうか。それか内容で勝負だ! 文章力よりストーリーと熱量だろッ!
 感情が響かせるんだよッ!
 嘘くさくない熱さだけが存在すれば読める文章になるはずだ。
 その熱さっていうのはどこから出てくるのか。
 感情の爆発だ! 怒りだ! 激しいエンドルフィンが脳内から発される。
 自分のすべてが肯定されるようなライターズハイ! 自分の書いている文章すべてに正しさやつながりの意味を見いだしてしまう。
 あらゆる物事に暗号めいた比喩がみえる。
 ビューティフルマインドを思い出す。
  指先のされるがままにさせてはいけない。無駄な文章を切れば切るほど文章は整って行くのだろう。整った文章は文章に込められた情報量が高い。
 逆に気ままに書いた文章の情報量は低く分散している。
 知ったことか!
 自分にとって価値のあるものが書ければそれで満足だ。
 満足するためには、脳内物質が出ていればいい。
 そうすれば何を書いたって俺は満足できる!
 そういう自分本意の文章に意味があんのか……!
 意味は全部他者に任せろ。勝手に意味を読み取ってくれるさ。
 ただエンドルフィンと指先の導くままに……文章の神の導きがあらんことを 

社会主義★だーりんっ ZANEEDS

 


The Socialist

 

 この曲は死ぬほど聴いた。何度も何度も繰り返し聞いた。未だに歌詞は覚えていない。断片的なフレーズが頭の中によぎるだけだ。

 漂うようなリズムと包まれるような音。

夢の中でたくさん笑えるように今はただ 

笑わない日々過ごしてる

 ランドリオールを読んでいる時にこの曲をずっと聞いていた。ランドリオールの不思議な間とつながりの感触、DXの超然とした遠くを見つめる目つきと、この曲の雰囲気がとても似ていた。
 いつも見上げる空には眩い太陽が輝き、手をかざして影を作る。両目が漂う雲と街を照らし出す光と青い空を見ている。
  

やってみるだけなら出来ないことなんてそんなにはないんだ 
ダメだって言われることを全部やらないでいたら 
出来ないこととやらないことの区別がつかなくなる 

「俺の友達に無害な奴なんかいないよ」

 

  ランドリオールの全体としての言葉のつながり方がとてもよい。今は意味のわからない言葉が後になって分かる。あとまで読めば読むほど最初の方の巻の意図がわかるようになるため、すごさが引き立つ。なんというか、世界がそこにあるような自然な感触が常にあるんだよなぁ。

 自分の分析力が明らかに足りていないのがわかる。エピアンワンダーももちろん最高。何が伝えたいのかがよくわからない。ともかく読めって話だが、ランドリオールの話を誰かとしていても、うまくかみ合わない場合がある。そもそも何かを見ている時には独自の視点で見ているわけだが……。

 この文章は何のために書かれたのだろう

 ただ毎日ブログを更新しようとする意図から自分の好きな音楽と好きな漫画について適当に書いた。その音楽で明確に何か伝えたいものがあるわけでもない。自分の中で好きだという感覚を的確に言葉にすることもできていない。
 なぜ、好きなのかに理由は無い。だと文章もいらなくなってしまう。理を尽くしてこの漫画や音楽がすごいのだということを誰かに伝えたいという熱量はどこに隠れているんだろうか。

Didn't it Rain 菅野よう子 

 音楽を聞きながらよく漫画を読む。いいシーンにはいい曲をかけてやるとより感動が大きくなる。

 このMADはちゃんと見ていないけれど、曲があったので張った。この曲を聴くと惑星のさみだれを思い出す。
 この曲を延々とリピートしながら全巻一気読みした。主人公の夕陽が夕陽をバックに立つシーン。さみだれに手を伸ばすシーン。さみだれの涙。大団円!

 せつなさが常に漂うような曲だから、別れや喪失の悲しさを思わせるけれど、悲しさの中の微笑み。うれし涙。どれだけ悲しくても希望がわたしを逃してくれない。そういう気分になる曲だ。

 どれだけ逃げても追いかけてくる。ほっといてくれない。なぜ、そんなにわたしを助けてくれるのだろう。
 ほっとくという言葉が出るとアイマスの春香を思い出す。

「ほっとかない! ほっとかないよ!」

 気持ちを相手に伝えるのは大事だ。
 ……なんというか優しい曲だ。すべてを包み込み許してくれるような、壮大な青空や草原が広がるような、世界が開けて、まだ見えていなかったものが見えるようになる。ただ絶望に覆われていたと思っていた黒い影の中にはかすかに光が輝いている。

 アイマスのアニメも七年前か……。

 

惑星のさみだれ全10巻 完結セット (ヤングキングコミックス)

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暗記したい文章倉庫

Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.

「明日死ぬと思って生きなさい、永遠に生きると思って学びなさい」

 

ソクラテスは、本当のことばのありかたについてこう語る。

 それはほかでもない、ひとがふさわしい魂を相手に得て、ディアレクティケー(対話、あるいは対話によって弁証法的に昇華すること)の技術を用いながら、その魂の中に言葉を知識とともにまいて植えつけるときのことだ。その言葉というのは、自分自身のみならず、これを植えつけた人をもたすけるだけの力をもった言葉であり、また、実を結ばぬままに枯れてしまうことなく、一つの種子を含んでいて、その種子からは、また新なる言葉が新なる心の中に生れ、かくてつねにそのいのちを不滅のままに保つことができるのだ。そして、このような言葉を身につけている人は、人間の身に可能なかぎりの最大の幸福を、この言葉の力によってかちうるのである。

 

●逆説の十ヶ条●

1 人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。それでもなお、人を愛しなさい。

2 何か良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。

それでもなお、良いことをしなさい。

3 成功すれば、うその友だちと本物の敵を得ることになる。

それでもなお、成功しなさい。

4 今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。

それでもなお、良いことをしなさい。

5 正直で率直なあり方はあなたを無防備にするだろう。

それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい。

6 最大の考えをもった最も大きな男女は、 最小の心をもった最も小さな男女によって撃ち落されるかもしれない。

それでもなお、大きな考えをもちなさい。

7 人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていない。

それでもなお、弱者のために戦いなさい。

8 何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。

それでもなお、築きあげなさい。

9 人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。

それでもなお、人を助けなさい。

10 世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。

それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。

 

寝て起きると世界が終わっていることだって無いとは言い切れない

頭の中に映像を思い浮かべてそれを打ち出していく実験をします。

 

 路上を行き交う人々と車の群れ。その中をスーツ姿の男は歩いていく。耳にはAIRPODSが垂れ下がっていて、男は何かを話している。男は赤信号の交差点で立ち止まる。男だと見づらいのでスーツと呼称します。スーツは東京の町並みを不意に見上げる。ビル群に囲まれた自分と赤信号に立ち止まる無数の人々、それぞれが全く違う理由や目的を持ってここにいるのだ、そう考えるとスーツは愉快な気分になる。
 と――その刹那上空を巨大な影が覆う。超巨大な戦艦である。スーツは口を大きく開き耳に刺さったAIRPODSを引き抜き路上に捨てる。人々は立ちすくみ同じように空を見上げている。空から墜落してくるように、戦艦は機首をこちらに向けていた。轟音が轟きビル群のガラスが一斉に割れ降り注ぐ。戦艦の正面がパカリと口を開けるように開き主砲がギチギチと組み立てられていく。どこからからスーツにはラッパの音が聞こえる、アポカリプス/ヨハネの黙示録をスーツは思い出す。

七人の天使ラッパ(士気を上げる音)を吹く(8章6節-11章19節)

  1. 第一のラッパ:地上の三分の一、木々の三分の一、すべての青草が焼ける (8:6-7)
  2. 第二のラッパ:海の三分の一が血になり、海の生物の三分の一が死ぬ (8:8-9)
  3. 第三のラッパ:にがよもぎという星が落ちて、川の三分の一が苦くなり、人が死ぬ (8:10-11)
  4. 第四のラッパ:太陽、月、星の三分の一が暗くなる(8:12-13)
  5. 第五のラッパ:いなごが額に神の刻印がない人を5ヶ月苦しめる(9:1-12)
  6. 第六のラッパ:四人の天使が人間の三分の一を殺した。生き残った人間は相変わらず悪霊、金、銀、銅、石の偶像を拝んだ(9:13-21)
    1. 天使に渡された小さな巻物を食べた。腹には苦いが、口には甘い(10:1-11)
    2. 二人の証人が殺されるが生き返る(11:1-14)
  7. 第七のラッパ:この世の国はわれらの主、メシアのものとなった。天の神殿が開かれ、契約の箱が見える。(11:15-19)

 

 世界は終りの幕開けを告げる。主砲から充填された高密度の光エネルギーが放たれた。

 スーツが光に包まれ霧散する――そのときである。

 
 刹那の瞬間に思い描いた


 俺は毎日毎日をどれだけ必死に生きてきただろうか。今日死ぬかのように生きよ、自分がもし余命一年だったら……後悔しない人生を生きただろうか。……今死ぬと分かっていれば、もっと好きなことをしたのに。許せん。しかし、俺は死んでしまうのだ……。この瞬間に自由にできるのは心だけである。光が俺を包み込むまでの永遠に引き延ばされた思考だ……。それはもはや俺にとっての物語をすべて語り尽くすことのできるまでに延ばされた走馬燈のようなものだ。

 いったい……何をしたかったのだろう。なぜ、これまで生きてきたのだろう。なぜこうやって死んでいくのだろう。理不尽だ。何を自分で選んできただろう。……なぜ俺はこんなにも後悔しているのか。後悔するということは悔いが残っているということだ。何を悔やんでいるのだ……死ぬというのに。……もし生き返ることができたら、悔いの無い人生を送りたい。今悔いていることを全てやり直すのだ。

あなたが空しく生きた今日は、昨日死んでいった者が、あれほど生きたいと願った明日

  ある言葉や映像に感染してその時だけは頑張れた。その言葉に負けないように頑張った。しかし、すぐに忘れた。すぐに今日を、いまを大事にしなくなった。不可逆な時間の中で最も大事な時間を無駄にしてしまった。それがこの終わりだ。
 

「10年間抱いてきた希望が潰えた。精一杯やってきたことがぜんぶ無駄になった。10年前に戻ることもできない。この先、生きていてなんの意味があるのかわからなくなった」

「10年後にはきっと、せめて10年でいいからもどってやり直したいと思っているのだろう。

今やり直せよ。未来を。

10年後か、20年後か、50年後からもどってきたんだよ今」

 こういう言葉も読んだ。しかし、俺は次の瞬間死んでしまう。やり直せない。やり直すとはそもそもなんなんだ。後悔しないように生きるしかない。しかし、俺は次の瞬間死ぬ。となると、俺はこの瞬間過去を書き換え素晴らしい人生だったと思って死ぬほかない。素晴らしい、素晴らしい人生だった。ありがとう。
 だめだ。思い込めない。自己暗示が遠い。光が迫ってくる。十年前に戻れたらもっと必死に勉強する誠実に嘘つかないし、いろんな人助ける。俺が四十代になったらまた同じこと言ってるんだろうか。願いが叶わないから後悔するのか。なんで後悔してるんだよ。後悔も全部受け止めて俺っていう人間そのものを俺自身が肯定してその上で全力で魂を燃焼したい。が、光が近づいてくる。
 死にたくない。しかし、死は誰も知らない。そこに飛び込むことさえも冒険なんではないか。もっといろんなことをすればよかった。たくさん冒険して、いろんなことやってみて失敗して、多くの人としゃべり、知らないことを覚え、またさらに知らないことがあふれ出て、知らない言葉や感情がが自分の中から出てきては笑うのだ。溢れるほどの喜びと感情、浮き沈みの深い悲しみでさえ素晴らしい。感情の乱高下に俺はついていけない。結論には間に合わない。自分の人生のラスボスや全クリもまだだっていうのに。終わりだ、終わり。もう時間が無い。常に時間は無い。今しか無い。次の瞬間には何が起こるかわからない。黙示録が起こるかもしれない。隕石かもしれない。交通事故かもしれない。火事かもしれない。病気かもしれない。俺には金なんて必要無い。生きる時間をくれ!

 そしてスーツは光になった。東京は壊滅した。日本も壊滅した。そして、世界も終わり。