EVERYTHING IS

想起特訓。忘れかけたことを思い出すのだ。

毎日書いていく! もういちどやるんだよぉ!

 どうでもいいことならいくらでも書けるんだ。いくらでも書ける。ローマ字入力ならいくらでも書ける。意味は無いかもしれないが、意味はある。無いかもしれないが、ある。という無意味的な自動筆記。自分の中の新規性が発見されることに文章を書く重要性がある書いているうちに発見していくということが喜びだからだ。

 思いつきや気づきは、違う見方や、自己の変革をもたらしてくれる。自己を変革させたいがために文章を書いたり読んだりする。本はしかし、読み続けていても自分で発想した訳じゃ無いから自分の中で本当に腑に落とすためには自分の言葉で気づき直すことが必要だ。気づきが変化だ。
 人間にとって重要なものは言語と視覚映像と身体感覚の三つだ。
 この三つを意識することで、自分の考えが生まれてる気がする。どこから思考が爆発してアイデアというものになるのか。
  考えることを考えるということをテーマに自分の考えるプロセスや何かを文章として生み出す時にどういうことをしているかを考えたいと思う。
 今書いているこの瞬間は自分の中の脳内音声を打ち込んでいるだけだ。本を読んでいる時とか文章を読むときの地の文の内的音声と同じ冷静な男の声が聞こえる。その内的音声を女の子に変えることもできるわよ、もちろん。
 文章を書く上で抽象性と具体性は常に意識しなければならない。私の場合すぐに抽象的になるような気がする。そもそも抽象的な話が好きだ。
 森博嗣のエッセイも好きだし。そういえば森博嗣は映像や図形、図解をしてからそれを文章に変換し直す作業をしているという。映像が思い浮かぶ時もあるが、自分の場合は音声ですな。
高速で打ってるとやっぱりローマ字入力は指痛くなってくる……。

図書館暮らし

 私がそれを見つけたのは、ちょうど家に帰りたくないと思っていた時でした。
 我が町の図書館は私の行きつけの場所です。なぜならそこに本があるのだから!
 私は書物を愛しています。なので知らない新刊が入っているとわくわくします。それじゃあ本屋でもいいじゃないかですって?
「お金がないのですっ!」

 作家さんにお金が行き渡らないのも重々承知してはいますが、何卒お許しいただきたいと存じます!
 そいうわけで図書館をるんるん気分で回っていると、何やらコツコツとやけに響く床板があります。

 

うまくしゃべれない

 切なさの感触がどこからともなく現れる。

 こいつは何だい? 胸が騒がしい。

 音の波が立ち現れてはたち消えて、気持ちだけが残される。

 気持ち良いと僕は思った。

 いたずらに時間が過ぎたみたいで君いらない。無駄な有り金をパクられたみたいでイライラしている。全部が全部うまくいってもつまらないとはおもうけど。

 

 なぜ感情が動かされたのか考えるのは重要だ。
 虚無へいく

 

罪悪感

 その人だけがみんなより頑張っている。見て見ぬ振りしてそそくさと帰る。助けられない人間なのだ。と自己評価が落ち罪悪感に苛まれる。

 罪悪感,道徳を犯したという気持ちだ。悪いことをしたという感覚。