問いと答え
何かしらの疑問が問いになりそれに答えようとすることで思考が生まれる。
たとえば、
価値のある文章とは何か?
という問いがあったとする。
そこから思い浮かぶことを列挙していく。
- 自分にとって新しい情報のある文章
- いままで知っていたものを別の見方を見せてくれる文章
- ともかくおもしろい
出てこなくなるまでこれを繰り返し、脳を捻り続けても出なくなるまで考えたら、一個一個をまた深掘りしていく。WHYだ。
自分にとって新しい情報のある文章になぜ価値を感じるのか。
知識が増えるから。自分が新しい何かを得ているという感触に喜びを覚える。知識欲の満足。自分がそれを理解できたという自尊心を満たす満足感。
知識が増えると嬉しいのはなぜか?→知識をひけらかすことで周りにすごいと思われたい。自分が成長できたと感じ、今の自分から変わっていけてる気がするから。変化が嬉しいというのは今の自分を否定することでもあるのでは?
縦方向に深掘りしながら考えていくと、横方向に広がりちらばっていく。ここで頭の中で図解すると、別の方向に思考が向かっているということがわかりやすい。
上下左右言葉のツリーを意識したい。
これ以上無い場所まで深掘りしていくと自分でも見たくない自分が見えてくるはずだ。横方向の散らばりは、今考えてたことから生まれた新しいアイデアになるはずだ。
はじめてとおわりのはじまり
誰にでもはじめてのことはある。なにもわからない新鮮さが何度も繰り返すことで慣れに変じ、それをはじめてやった時の感触、はじめての感動を忘れていく。
そうして人間はその行動を自動化しロボット化していく。コリンウィルソンはアウトサイダーの中でロボット化が鬱のはじまりのようなことを言っていた。
あらゆるものをはじめてのように感じながら行うと、その作業はとても時間がかかる。詳細な観察と発見が起こり手が止まってしまうからだ。ロボット化することでなにも考えず動作を行うことができる。
……眠い。眠いので思考は停止し、部屋についたライトのキーンという音が耳に響く。そういえば電磁波が身体に悪いという眉唾物の話を聞いたのだが、本当のところはどうなんだろうか?
花粉症撲滅してよ、神
何も考えられず、だるさだけが残る。こういうときは雨音だけが友人だ。
スケッチブックを持って自在に絵を書けたら。なぜかそんなことを不意に思った。誰かの絵を真似するということも考えず、ただ見えるままを書こうとしたらもっと自由に書けただろうか。
だけどたまに、なにも知らない無だった時の自分を思い出したくなる。なにも知らなかった僕は自由に書くことはできただろうか……。
何も書けない気がするいらだちまみれ
能力を高めるために必要なのは質と量だ。文章量を確保することは急務だ。一万時間の法則というのがあるから、一万時間書き続ければいいわけだ。毎日八時間を三年続けると一万時間に到達するらしい。はぁ、多すぎねぇか。
これまで10年間何時間文章と向き合って来たんだよ! いったい!
向き合うってどういうことだよまず、的確な練習方法があるのかよ、筋トレみたいに負荷を書ければいいのか。筋肉痛の代わりに、文章痛なんつうものが起こればわかりやすいのにな。文章を書くたびに痛みがはしる。いや、そういう感覚なんとなくわかるかもしれない。学べば学ぶほど自分の文章の荒がみえて嫌になる。胸が痛む。書くのがヤになる。
永遠にたどり着けない理想の文章がそこにあるがと・ど・か・な・い!
しかしだ。そもそも文章力つーか、俺が思っている理想の文章なんてただ体裁を整えた格好つけでしかない。
――文学的で学術的知識のバックボーンに支えられた端正な文章。
みたいな。
書きにくいことを書いてみて特訓するしかないんだろうか。それか内容で勝負だ! 文章力よりストーリーと熱量だろッ!
感情が響かせるんだよッ!
嘘くさくない熱さだけが存在すれば読める文章になるはずだ。
その熱さっていうのはどこから出てくるのか。
感情の爆発だ! 怒りだ! 激しいエンドルフィンが脳内から発される。
自分のすべてが肯定されるようなライターズハイ! 自分の書いている文章すべてに正しさやつながりの意味を見いだしてしまう。
あらゆる物事に暗号めいた比喩がみえる。
ビューティフルマインドを思い出す。
指先のされるがままにさせてはいけない。無駄な文章を切れば切るほど文章は整って行くのだろう。整った文章は文章に込められた情報量が高い。
逆に気ままに書いた文章の情報量は低く分散している。
知ったことか!
自分にとって価値のあるものが書ければそれで満足だ。
満足するためには、脳内物質が出ていればいい。
そうすれば何を書いたって俺は満足できる!
そういう自分本意の文章に意味があんのか……!
意味は全部他者に任せろ。勝手に意味を読み取ってくれるさ。
ただエンドルフィンと指先の導くままに……文章の神の導きがあらんことを
社会主義★だーりんっ ZANEEDS
この曲は死ぬほど聴いた。何度も何度も繰り返し聞いた。未だに歌詞は覚えていない。断片的なフレーズが頭の中によぎるだけだ。
漂うようなリズムと包まれるような音。
夢の中でたくさん笑えるように今はただ
笑わない日々過ごしてる
ランドリオールを読んでいる時にこの曲をずっと聞いていた。ランドリオールの不思議な間とつながりの感触、DXの超然とした遠くを見つめる目つきと、この曲の雰囲気がとても似ていた。
いつも見上げる空には眩い太陽が輝き、手をかざして影を作る。両目が漂う雲と街を照らし出す光と青い空を見ている。
やってみるだけなら出来ないことなんてそんなにはないんだ
ダメだって言われることを全部やらないでいたら
出来ないこととやらないことの区別がつかなくなる
「俺の友達に無害な奴なんかいないよ」
ランドリオールの全体としての言葉のつながり方がとてもよい。今は意味のわからない言葉が後になって分かる。あとまで読めば読むほど最初の方の巻の意図がわかるようになるため、すごさが引き立つ。なんというか、世界がそこにあるような自然な感触が常にあるんだよなぁ。
自分の分析力が明らかに足りていないのがわかる。エピアンワンダーももちろん最高。何が伝えたいのかがよくわからない。ともかく読めって話だが、ランドリオールの話を誰かとしていても、うまくかみ合わない場合がある。そもそも何かを見ている時には独自の視点で見ているわけだが……。
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この文章は何のために書かれたのだろう
ただ毎日ブログを更新しようとする意図から自分の好きな音楽と好きな漫画について適当に書いた。その音楽で明確に何か伝えたいものがあるわけでもない。自分の中で好きだという感覚を的確に言葉にすることもできていない。
なぜ、好きなのかに理由は無い。だと文章もいらなくなってしまう。理を尽くしてこの漫画や音楽がすごいのだということを誰かに伝えたいという熱量はどこに隠れているんだろうか。
Didn't it Rain 菅野よう子
音楽を聞きながらよく漫画を読む。いいシーンにはいい曲をかけてやるとより感動が大きくなる。
このMADはちゃんと見ていないけれど、曲があったので張った。この曲を聴くと惑星のさみだれを思い出す。
この曲を延々とリピートしながら全巻一気読みした。主人公の夕陽が夕陽をバックに立つシーン。さみだれに手を伸ばすシーン。さみだれの涙。大団円!
せつなさが常に漂うような曲だから、別れや喪失の悲しさを思わせるけれど、悲しさの中の微笑み。うれし涙。どれだけ悲しくても希望がわたしを逃してくれない。そういう気分になる曲だ。
どれだけ逃げても追いかけてくる。ほっといてくれない。なぜ、そんなにわたしを助けてくれるのだろう。
ほっとくという言葉が出るとアイマスの春香を思い出す。
「ほっとかない! ほっとかないよ!」
気持ちを相手に伝えるのは大事だ。
……なんというか優しい曲だ。すべてを包み込み許してくれるような、壮大な青空や草原が広がるような、世界が開けて、まだ見えていなかったものが見えるようになる。ただ絶望に覆われていたと思っていた黒い影の中にはかすかに光が輝いている。
アイマスのアニメも七年前か……。
惑星のさみだれ全10巻 完結セット (ヤングキングコミックス)
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