EVERYTHING IS

想起特訓。忘れかけたことを思い出すのだ。

ヒロインが死ぬ

 ヒロインが死ぬとショックを受ける。ショックを受けるのは死んで欲しく無いからか……。キャラクターが死ぬとなぜショックを受けるのだろう。

 トップをねらえ1,2、デビルマンの新作を見ていた。
 グレンラガンの最終回を思い出す。ヒロインが失われる。リアルタイムで見ていたが、せつなさを感じた。胸の部分がぐるぐると渦巻く。悲しみに包まれつつも、素晴らしいものを見たという気持ちがある。
 デビルマンは原作を読んでいたので、そうなることはわかっていたが、そうなって欲しくなかった。牧村美樹は可愛いキャラだったから、自分がけっこうショックを受けていることに驚いた。
 グロテクス描写が苦手な訳では無い。後ろから巨大なナイフで切りつけられて血が吹き出て、首が切断され、槍の穂先に吊るされる。
 どうでもいいキャラクターだったらなにも感じない。感情移入ってどういうことだろう。なんとなく、知り合いになった気分。この人が何を考えて、どういうことしているのかがわかっているような時。
 まだ生きたいと望みを抱いている。
 人間が悪魔よりも悪魔になる瞬間。
 徹底して描かれる人間の醜さ。嘘の情報に惑わされ、隣人を殺す。怪しいと思った人を磔にする。怪しいかもしれないと考えると、どんな情報でも敵を作る。
 絶望だ。すごく嫌な感じだ。
 裏切りだ。バッドエンドだ。
 このどうしようもないものを見せられてどうすればいいんだろう。
 一方残酷なものを見たい気持ちもある。
 バッドエンドとハッピーエンドを両方同時に味わいたい。
 という矛盾した感情がある。
 最高のハッピーエンドは絶望のバッドエンドを超えた先にある。
 ループものやゲームはこの構造を利用している。
 何度もバッドエンドになって、それを繰り返し少しずつ前に進み、
 いつかは同じではなく見果てぬ地平に辿り着く。