まじめ 空想 魂の文章
最近真面目に文章書こうとしすぎてた。もっと自由で馬鹿げててよろしい。普通になるとつまらん! 新規性と意外性が常になくては!
感情のうちに分類することのできない矛盾に矛盾を重ねるようなぐるぐると回る感情を味合わせるような奇妙なものを見たい。
言葉にできないもの。
言葉にできないから情景に託したり、動作で表したりする。
文章の向こうに隠れているものがある。
気づかないうちに進行しているさまざまなこと。
好きな人の好感度をあげるために頑張っている人がいた。
抗癌剤治療で髪が抜け落ちて、いつも帽子を被っていた散髪屋のお父さんが亡くなった。
こういう文章を書くときに明確に何が伝えたいかはっきりあるのと無いのとは熱量が違う。そこに込められた意味も違う。
この文章の熱量はすごかった。現実にそういうものがあったからこその内容なのか、魂を込めて伝えたいという想いが伝わってきてぐっときた。
何度も書き直して書いたのだろうか。書いた人はどんなことを考えて書いたんだろうか。文章は誰かに届くんだろうか。
なぜ、響くんだろうか。
誰かにために、大切な人のために、失った喪失感。
ほんとうを語っているという感覚。
フィクションでもフィクションじゃなくても、文章にした瞬間ある程度主観的になる。選んで並べて、作り上げて。
いかに信じて書くか。書けるか。
本当に信じてる。なによりも伝えたいって熱がある。
読んで欲しいという炎がある。
そういうものが自分には足りない。
自分の感情が揺らがない自分の文章をほかの人が読んで揺らぐわけがない。
自分の感情が破裂しそうなほどに、感情を込めて書く。
魂を込めるって、真剣に向き合うってこと。