EVERYTHING IS

想起特訓。忘れかけたことを思い出すのだ。

Teleport 桜前線

 孤独を愛するフリーターは、サブカル女子が夢みるファンタジー世界で生きることを夢みてる。70年代にトリップして昭和高度経済成長セックスに勤しむ間、栗本薫が生み出したグインサーガと耽美に浸る。ヴィジュアル系バンドを派遣社員の代わりに派遣して、奇抜な衣装とルックスで平凡な日常に死をもたらす。カネをたくさん持っていると、愛の告白代わりに叫ぶと、「わたしは不治の病でもうすぐ死んじゃうかもしれないけれど愛してくれる?」と告白される。
 ロックは自由だ! ならどんなことも許される。日常的な行動はロックじゃない。非日常がロックだ。尾崎豊の歌詞にインスパイアされている時点でロックじゃないと反発し、盗んだバイクで走り出した奴を遠距離からモデルガンで撃ち落とす。金属バットで割られた校舎の窓ガラスは綺麗に直して見せる。
 ヤンキーの典型的ヤンキースタイルはこれまでのスタイルを踏襲している時点でロックじゃない。体毛をすべて沿って丸刈りにし、常に胸元にぶら下げた陶器の瓶から角砂糖を食べていくスタイル。そういうスタイルで校外をぶらついてイキっていたら、お寺からスカウトされ住職になる。寺で悟りを開いた気分になって、遂に上京。常磐線に乗って、終わらない日常の中へ飛び込んだ。
 中東の戦争システムに意義を申し立てて、オイルマネーを俺にもよこせと叫び、戦争はよくないとシュプレヒコール。アジテートすることを生きがいにし、地方都市から革命を叫び、TWITTERで闘士を募る。
 ジャン=フランソワ・リオタールが『ポストモダンとは大きな物語の終焉』と言った時から30数年いまだ僕らは共通目的を見つけることもなく、従順に同じであろうとし、個別に真逆で個性的であろうとする。
 終わる平成を渋谷のスクランブル交差点から、京都の清水寺の舞台から、サッポロ雪祭り雪像の中から眺めている。元号が代わり津波の記憶が風化しそうになる。すぐに大事なことをなんでもかんでも忘れようとする僕らは、いまだ何を忘れちゃいけなくて、何を繰り返してはいけないのかわかっていない。
そして、僕はドルアーガの塔の頂上にいまだ辿りつけてない。

 

 888 30分