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わたしとなにがし

わたしがさまざまなものと場所を観察する。 抽象性と具体性/実験の場。

わたしといらだち本

 家の本棚を見ていると読んでいない本が溢れていていらだちがつのる。
 重みで圧殺されそうな『読まなきゃ』がわたしに襲いかかってくる。
 プラトンが対話を挑んでくるけれど、回りくどさにわたしは読む気をそがれ、なんでこんな本たち買ったの?って昔のわたしに恨み節をささやく。
 数年前、いや今でもそうなのかもしれないけれど、わたしはAmazonの星狂いだった。レビューの評価がいい本は古本屋で片っ端から買いあさる。読む読まないは関係ない。将来読むだろうと見越した買い物。そこに自分の興味、自分が好きかどうかは関係なく、いつからからわたしは好きなものが何かよくわからなくなった。
 これが好きなんだろうなぁ、と思うものはあるけれど、本当に好きなのかわからない。そもそも本を読むことだって本当に好きだったんだろうか。楽しさはあるけれど、苦しみもある。読むことに意味があると信じて読もうとする。けれど、書物はドサドサと積み上げられていき、息ができなくなる。
 その本を読む意味は?
『魔術』『スパイダー・ワールド』『シカゴ育ち』『無傷姫事件』『ジェイクを探して』『わがままなやつら』『オカルト』『小説の技巧』『二十世紀の美術』『バーティミアス
 読んでない本ばかり。それは喜びではなく絶望で彩られる。読まないと読まないと、強迫観念がわたしを押しつぶそうとする。
 そもそも、最初に読もうと思ったのはなぜだろう?
 何かを書くために読もうとしたんだったっけ。
 読んでいる間は書けない。書いてる間は読めない。
 想像の範囲内の本を読んだって意味ない。知らないことが無いと意味ない。
 すべてを知りたいのに。
 すべてを知れない。
 ただ肥大化する欲望がわたしを強欲にしていく。
 足りない、足りないと時間を貪り食う大型の節足動物になる。
 緩やかに時間の不安を感じずにスマートに軽いタッチで気に入った本を手に取り気分で読みたい。その本を読む時間効率とか、利益効率とか、そういう社会的な側面/わたしの個人的な部分と関係したくない。
 いつもすべての本をキャンプファイヤーの炎にくべて燃やす想像をする。
 それはひどく楽しそうだった。