読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

わたしとなにがし

わたしがさまざまなものと場所を観察する。 抽象性と具体性/実験の場。

わたしと物語禁止令

エヴィルは小説家志望でいつも自作の小説を書いている。
「僕は物語に触れるのをこれから禁止する。8月〆切りの小説を書き上げるまで物語はしまうんだ。僕が書くものだけに触れるんだ。禁止されているから新しい話を自分で考えたくなるはずだ」
 わたしはそんなものかなーと思うけれど、無理なんじゃないかなとも思う。この世界は物語に満ちている。その物質の意味自体が物語でもある。
 鉛筆の用途は誰かに手に取られ紙に書かれることだ。
 鉛筆には誰かに書かれるという目的がある。
 その目的を達成するために鉛筆は自分で動くってことはできないけれど、受動的に物語が降ってくるのをいつも待っている。
 工場で生産され、パッケージ化され、セット販売されたHBの鉛筆。大学入学を果たした藤草晴海はありあまる時間を使って絵を描こうと思い鉛筆を求めた。紀伊國屋書店で彼はその鉛筆を手に入れる。家に帰るとスケッチブックを開き、手動の鉛筆削りをガショガショと動かしツンツンになった鉛筆を走らせる。
 尖りすぎた芯はボキッと音をたてて折れた。初書きが折れるとは、と衝撃を覚えるも晴海はまたもや鉛筆を削り帰り道に摘んできたスミレの花をスケッチしていく。
 鉛筆は誰かの物語に組み込まれて物語になる。私たちの人生に巻き込まれて物語の一部になっていく。
 用途通りの物語では無いかもしれない。
 オブジェとして使われたり、ただ、力を見せつけるためだけに折られるかもしれない。使われた瞬間に何かしらの物語に関わってしまっているのだ。それがおもしろいおもしろくないに関わらず。

わたしと忍耐

 わたしは忍耐力が無い。そういう自覚がある。
 友人のスヴェトラーナは非常に我慢強く、同じことをずっとしてられる。
 同時に本を読み始めて、
 彼女が1冊の本を読み終えた時、
 私は10冊の本のさわりを読み終えている。
 なぜこんなにも飽きっぽいのだろう。
「ねぇ、スヴェトラーナ私に忍耐ってものを教えてちょうだい」
「カーチャ、あんたはねぇ、正直言ってそのものにのめり込むということができてないのよ。同時にいろんなことを考えてるから本そのもの以外にも他のことが気になってしょうが無い。だから本の世界にダイブできず、この現実の実感を常に味わってしまうんだわ。没頭したいから別の本に変えるんだろうけど、同じ繰り返しね。周りの情報を極限まで減らすよ。白い部屋には椅子とその1冊の本しかない、時計も無いし、心配事も無い。ただゆっくりと味わって読めばいいのさ。情熱を込めておもしろいとのめり込んでいるものに忍耐は必要無い。ただ時間がすぐに過ぎ去ってしまうものよ」
 ~をしなければいけない。~をしたい。この違いだろうか。
 私はその本を心から読みたい、読めないならばいっそ死ぬという心持ちを持ったことが無い。そんな本の読み方をしてみたい。登場人物の情動で胸が張り裂けそうになり、『若きウェルテルの悩み』を読み実際に自殺した人がいたように。
 彼らの感覚を味わいたいと思った。

わたしと『すばらしい新世界』

 カヴァンは読書家で私に読んだ本の話をしたがる。
「ねぇ、よんでー、よんでよんでー」
 無邪気さと純粋さに私は撃たれて読んだ。
『すばらしい新世界』

わたしと博覧強記

 わたしの友人になんでも知ってる友達がいる。
 ハクラン君という名前の彼は量子コンピューターに繋がったネットワーク系のサイボーグだ。一億5000万冊ほどの本の情報が彼の頭には入っている。常時接続し更新されていくのでネットワーク上にある情報はすべて彼のものだ。
 しかし、彼は真偽判定ができない。
 問いに対して複数の回答を持ってくるのが彼のできることだ。その答えがどこから用意されたか、どの本の引用で回答できるか。
 ハクラン君には思考が無い。その膨大な情報をアイデアにはまだできていない。

わたしといらだち本

 家の本棚を見ていると読んでいない本が溢れていていらだちがつのる。
 重みで圧殺されそうな『読まなきゃ』がわたしに襲いかかってくる。
 プラトンが対話を挑んでくるけれど、回りくどさにわたしは読む気をそがれ、なんでこんな本たち買ったの?って昔のわたしに恨み節をささやく。
 数年前、いや今でもそうなのかもしれないけれど、わたしはAmazonの星狂いだった。レビューの評価がいい本は古本屋で片っ端から買いあさる。読む読まないは関係ない。将来読むだろうと見越した買い物。そこに自分の興味、自分が好きかどうかは関係なく、いつからからわたしは好きなものが何かよくわからなくなった。
 これが好きなんだろうなぁ、と思うものはあるけれど、本当に好きなのかわからない。そもそも本を読むことだって本当に好きだったんだろうか。楽しさはあるけれど、苦しみもある。読むことに意味があると信じて読もうとする。けれど、書物はドサドサと積み上げられていき、息ができなくなる。
 その本を読む意味は?
『魔術』『スパイダー・ワールド』『シカゴ育ち』『無傷姫事件』『ジェイクを探して』『わがままなやつら』『オカルト』『小説の技巧』『二十世紀の美術』『バーティミアス
 読んでない本ばかり。それは喜びではなく絶望で彩られる。読まないと読まないと、強迫観念がわたしを押しつぶそうとする。
 そもそも、最初に読もうと思ったのはなぜだろう?
 何かを書くために読もうとしたんだったっけ。
 読んでいる間は書けない。書いてる間は読めない。
 想像の範囲内の本を読んだって意味ない。知らないことが無いと意味ない。
 すべてを知りたいのに。
 すべてを知れない。
 ただ肥大化する欲望がわたしを強欲にしていく。
 足りない、足りないと時間を貪り食う大型の節足動物になる。
 緩やかに時間の不安を感じずにスマートに軽いタッチで気に入った本を手に取り気分で読みたい。その本を読む時間効率とか、利益効率とか、そういう社会的な側面/わたしの個人的な部分と関係したくない。
 いつもすべての本をキャンプファイヤーの炎にくべて燃やす想像をする。
 それはひどく楽しそうだった。

わたしと問い

 頭は考えるためにある。
 身体は動くためにある。
 心は揺らめくためにある。
 無機質な鋼鉄のような心など私には必要がない。

 今、考えているという時本当に考えているのかわからなくなる。
 むにゃむにゃとして、はっきりとしていない時や考えをうまく言葉にできないときは考えているのに考えていないような気になる。複数の問題が絡まり合って見通しが悪いときは特に。見通しがクリアに立つ時や見晴らしがいいときは、自分の思考が明確に見える時に、今私は考えているとわかる。
 しかしそれは単純な物事の場合であることが多い。
 思考にもいくつかのパターンがある。

  1. イメージの思考。映像を思い浮かべるような考え。マンガやゲームなども。キャラクター、他の人、
  2. 聴覚の思考。頭の中で声で語り、言葉によって考えを紡ぐ。
  3. 文字列を思い浮かべる。
  4. 記憶を思い出す。
  5. 上記の複合タイプ。

わたしとプールサイド

 誰もいないプールサイドにはプールを監視するための高い椅子がある。正確な名前は知らないけれど、プールの中央の左右両端に一つずつ置いてある。いそいそと短い梯子に登って椅子の上に座る。三角座りで座る。頭を膝に乗せて少し傾けて暗く濁ったプールを見る。その混沌の闇のように奥まで見通せないプールの底には何か私にとって重要なものが沈殿している気がした。

 私は白い髪をしている。
 私はセーラー服を着ている。
 私は物憂げである。
 私は詩的である。
 私はボブカットでせつなさを讃える。

 激しい風で水面が波打ち揺らめくと同時に私の黒いプリーツスカートもはためく。連動しているような揺れが私の時間感覚を奪っていく。

 ここはプールサイド。